ほころびる制度 日経新聞
 
第1部ほころびる制度(1)「長寿社会」のひずみ(蘇れ医療)
テーマ:引用記事
20080522 日本経済新聞 朝刊

 ニッポンの成長の一端を支えてきた医療。高齢化社会の到来は制度の限界を浮かび上がらせ、存続のため公平性やコスト面からの大幅な見直しを迫られている。医療制度は蘇(よみがえ)るのか。第一部は「ほころびる制度」を探る。
 一月末、横浜市中区の薬局に男性(89)が現れ、手元の薬をぶちまけ涙目で訴えた。「多過ぎてどうやって飲めばいいかわからん」
 この国では今、喜ばしいはずの長寿をめぐり制度のひずみが広がる。不眠や高血圧、高脂血症などの改善を求めた男性に、四つの医療機関が出した結論は二十種類一日三十七錠を口にすること。薬剤師の高橋洋一(55)が各医療機関と調整し、やっと十五種類二十八錠に。一度に飲む分も一包みとなり、混乱は収まった。
薬の無駄2000億円超
 病気ごとに別の医療機関に行くことも多い高齢者では「よくある話」と高橋。「飲まずに無駄となる薬代や、飲まなかったことで病状が悪化してかかる医療費は日本全体で二千億―五千億円」。東大准教授、福田敬(43)によると、米国やカナダでの研究例を当てはめれば、こんな金額まで出る。「縦割り処方」に多額の医療費が注ぎ込まれる。
 保険証一枚あれば、どの病院・診療所でも診てもらえる医療制度と医療関係者の努力が、世界トップクラスの長寿国家を築き上げたはずだった。ところが、国民の健康を守るための最適な仕組みが迷走を始めた。
 集中砲火を浴びる後期高齢者医療制度(長寿医療制度)が高齢化への処方せんと考える医師もいる。「能力あるかかりつけ医が患者を診れば、医療費は抑えられ質も上がる」と東京都国立市の開業医、新田国夫(62)。患者と合意のうえで開業医が「主治医」になる新制度。患者の健康全般を管理する「医療の水先案内人」として、別の医師にかかった内容も把握。「薬や検査の重複も防げるはず」。すでに百人以上を診る。
 新制度に対し高齢者は「年金から保険料が天引きされた」と嘆き、医師は「報酬が低すぎ、必要な検査もできない」と怒る。野党は廃止法案を提出する構えだが、それで明日の医療は見えてこない。「方向性は間違っていない」。新田はそう感じている。
 国際的に見ればカネをかけず効率運営されてきた日本の公的医療。高齢化はその制度の体力をも奪う。一九九五年度には二十七兆円だった国民医療費は今三十三兆円を超す。十数年後には五十兆円を上回るともいう。どう賄うかの議論は避けて通れない。ただそのとき、ギリギリまで無駄を省く努力は必要だ。費用対効果も無視はできない。
 英国での訴訟が注目を集める。高齢者らに使われる認知症治療薬「アリセプト」。エーザイの主力製品の一つだが、当局が「費用の割に効果が不十分」として、公的医療での使用制限を決定。これに対し同社側が「不当」と訴えた。
 エーザイ側の主張は一部認められたものの、結末はまだ見えない。費用対効果の根拠はデータの取り方などが難しいものの、日本での研究は進んでいない。
 公的制度に依存し過ぎない姿勢も求められそうだ。
公だけに頼れない
 「体調はどうですか」。在宅医療を支える会員制組織「ライフケアシステム」(東京・千代田)の医師、辻彼南雄(50)は都内にある九十代の女性患者宅を訪れ診察を始めた。家族は「いつでも電話で先生の指示を仰げ、救急車も呼ばずにすむ」とほほ笑む。
 「病気は家庭で治すもの」と患者と医師が共同で三十年近く前に設立。通常の診療は公的保険で賄うが、家庭状況まで把握する医師に二十四時間連絡がつく。入退院の手配や看護師らによる健康チェックの訪問などもある。「主治医」をさらに充実させた形を月七千円の会費で賄う。当初六十世帯だった会員は三百五十世帯に。確かな安心を求める「自主組織」は公的制度の安定にもつながる。
 医師と患者だけの問題ではない。だれかが医療コストという「痛み」を背負わなければならない。選択の時がやってきた。=敬称略
(「蘇れ医療」取材班)
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【図・写真】後期高齢者医療制度の相談窓口(12日、東京・足立区役所)